2007年4月3日
うしろうしろつながりと言えば、ゴールデンカムイ。
野田先生は余程お好きなんでしょうねえ、お話のここかしこにドリフターズを感じます。
ドッドッドリフを踊っていたし。
うしろうしろに至っては、あの懐かしいセットを彷彿とさせる絵を描いてくださってましたし。
あれはキャッキャしたなあ。
何よりも嬉しいのが、私の好きなあの「坂の上のおうち」シリーズまで出てきてるとこ。
おそらくドリフの中でもなかなか、ニッチというか、マイナーというかな「坂の上のおうち」。
ものすごい坂の上におうちがあって、帰るのに一苦労するアレですよ。
あの坂に抗えず滑り落ちていくわけですけど、あの滑り落ちた後のまったりした数十秒をきっちり描き切っておられた、あれが嬉しいのです。
あの時間こそが、坂の上のおうちの醍醐味。
うんうん。
久しぶりに見たいなあと思って動画をあさっていると、該当するものがありました。
あのコント、正式名称?は「陽の当たる急な坂道」っていうんですね。
つまりは「陽の当たる坂道」のパロディだったということなんでしょうか。
いいですねえ。
この元ネタを知らぬまま、お構いなしにゲラゲラ笑ってた辺りが、いかにも世代として現役って感じ。
が。
恐ろしいことが判明してしまいました。
私が勝手に思っていた「坂の上のおうち」コント。
坂の上に、家がありません。
動画を見る限り、坂の上に家はなく、バス停があるようです。
「坂の下のおうち」でした。
通勤通学のために、毎朝、坂にトライし、そして果てる、そういうコントでした。
……。
なんということでしょう。
あの頃、わたし、何ちゃい(何歳)だったんだろう…。
私の記憶がはっきりしてくるのって、ヤッターマンくらいからなんだよなあ。
ちなみに金カムの野田サトル先生は、年齢不詳を通してらっしゃるようです。
ですが、ずばり私が当ててみせましょう。
おそらく(全然ずばりじゃない)、昭和46年生まれですね。
同級生じゃないのよ、何となく。
ちょっとだけ上なのよ。
すっごい、すっごい何となくだけど。
何となくだけど、野田先生にとっての世界名作劇場は、フローネじゃなくてトムソーヤなの。
きっとたぶん。
ああ、やっぱり昭和45年も入れといて。入れといてって?でも、三千里とラスカル辺りも怪しいよな……ということは、うちの姉と同世代……いや、うちの姉はドリフはそんなでもなかったしなあ……ブツブツ…でも、それくらいなら仮面ライダー出てきそうだと思わない?全然出てこないのよ、その辺りが。私にとってのその辺りって、もう、レオとアマゾンとかになるから、ちょっと違うのよねー。性格?性格の違い?ああ、地方のチャンネル事情もあるか、うーん。
うーーーーん、よし、やっぱり昭和46年で。