けいよい日記

キングオブ暇な私の、心の琴線

夢と現実の狭間で。

夢との境界線がわからなくなるときがある。


道を歩いてるときに、「あれ。これ夢かも。」と思ってしまう時が。
ぱっと目が覚めたら布団の中なんじゃないか、と思ってしまう時があるのだ。


大抵、めんどくさいことを無理矢理やってるときに、その感覚は起こる。


こんなめんどくさいことを、この私がやってるなんて、夢に違いない。  
……そんなところだろうか。

名付けて、「これは夢なんじゃないか症候群」。
これが起こると少し頭がクラクラするので、あまり好きではない。



初めて、これになったのは、小学校2年。 ウィークデイの朝だった。
私は大変に寝付きも寝起きも悪いのだが、その日の朝は特にひどかった。



ここで少し説明しよう。

母親がいつも起こしてくれていたのだが、その起こし方には各段階が存在する。

段階1  「○○○ちゃーん、起きなさーい」  
     この段階では、時間的余裕も、母親の精神的余裕も充分あり、あと20分は眠れる。

段階2  「○○○、起きなさいよー」       
     この段階で、あと10分。 母親も、ここで私が起きるとは思ってはいないが、
     少し機嫌が悪くなっている。 
     よって名前は呼捨。

段階3  「○○○、起きなさい」          
     あと5分といったところ。 
     母親の言葉も語尾から余裕が消える。
                               
段階4  「○○すけ、起きんさいよっ」     
     あと3分。 
     なぜか私の名前に「すけ」を付けてくる。
     ここらで一度笑いを入れてくる彼女の感覚は未だ理解に苦しむ。
     笑わせて起こそうとでもしていたのだろうか。

段階5  「いいかげんにしんさいよ」       
     名前が消える。 あと1分。

段階6   無言で水を掛けられる。        
     そういえば、コロ(犬)が啼きやまない時も、
     母親はコロに向かって水を掛けていた。   
     同じ扱いかよ。


まあ、水云々は私が大きくなってからの話で、さすがに小2の幼気な子供時代は、やられなかった…と思うが。




話を元に戻そう。


この日、相変わらず起きてこない私に対して、母親は「物で釣る」という作戦に出た。

エサは 「イチゴ」。

別に好物というわけでもなかったが、まあ珍しくないこともない。
なんせ、いただき物だ。


「イチゴがあるよ、はよぅ起きんとなくなるよ。」


母は、そういって私を起こそうとした。




そして私は、起きて、顔を洗い、制服に着替えて、テーブルに着き、イチゴを食べた。


……という夢を見た。

どれだけ驚いたか、おわかりいただけるだろうか。

美味しくイチゴを食べていたのである。
それなのに。


「早く起きんさーーーいっ。」

                   (色は赤。あくまで赤。)



という、母親の金切り声で目が覚めてみれば、自分は布団の中でパジャマ姿なのだ。
状況を把握しろというのが、無理というものだ。

結局ぎりぎりまで寝ていた私は、イチゴにありつけ…たのだろうかどうだろうか。 

それは覚えていない。

だが、あんな夢を見たくらいだ。

起きようという気概、そしてイチゴを食べようという意志はあったに違いない。



あれ以来、何か無理をしているとき、「これは夢なんじゃないか症候群」が発症してしまう。

今こんなしちめんどくさいことしてるけど、パッと目が覚めたら、実は全然何も進んでなくて最初っからやり直しなんじゃ…。


結構、やっかいな思考パターンである。

まあ実害はないのだが…。


ええかげん、イチゴのトラウマから抜け出してもらえないものだろうか。


私よ。

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