「私の主張」 30代主婦 少し普通じゃないらしい
先日、友人の結婚式に出てきました。
なんでも、出会って半年での、この挙式。
結構なスピード婚でした。
驚きはしましたが、何より彼女の嬉しそうな顔を見てると、こちらも目尻が下がるばかり。
そんな時、披露宴で、友人のお母様がご挨拶に来てくださったのですが。
泣いておられます。
「ああ、末娘が嫁に行くんだもんね、嬉しいやら寂しいやらだよねえ…。」
と思っていたらば。
「嫁にやりたくないんです~!!」
と。
あ、100%、そっちでしたか。
結婚にあたって、親子でケンカばかりしてたそうです。
友人は、とても優しい、どちらかというと大人しい方の人間です。
そんな彼女が親とケンカするとなると、随分とエネルギーを使ってしまっただろうなあと、彼女の笑顔を見ながら思いました。
結婚もしくは結婚式というイベントでは、親の生身の姿を垣間見ることになりがち。
どちらかというと、出来れば見たくない、そんな姿を。
自分の結婚の時も、なんだかんだと (しかも逐一くだらない事が)ありましたが、
まあ、いい機会だったように思います。
子供の頃から、親の価値観…いや、母親の価値観で固められた家で育ち、それが当たり前だとも思っていましたが。
それは「価値観」というより、彼女の個人的な「好み」でしかなかったのです。
漠然と違和感を感じてはいましたが、結婚式でのあれやこれやで、否応なしに、それがハッキリした感じです。
個人の「好み」に、他人が従う必要は全くありません。
礼節さえ、わきまえていればいいのです。
それとも、親の「好み」に子供が付き合ってあげることが、親孝行というものなのでしょうか。
いやいや、きりがないって。
子供の時分に、このことに気づいていたら。
ずいぶん楽に、子供をやっていけたのではないかと、思います。
足が遅いのに、速く走らなきゃ、と焦る必要もなかったし、学芸会で主役を張れないからって、いじける必要もなかったのです。
ただ難しいのが、私自身が速く走りたかったり主役を張りたかったり、したのではないか、ということ。
いや、速く走りたかったのではなくて、速く走って周りの賛辞を得たかった、というのが正しいところか。
その辺を親のせいにするのも、格好悪い話なわけで。
ああ、ややこしい。
親の「好み」というものは、子供に受け継がれるものなのかもしれません。
でも、受け継いだものを、どう処理するかは、これは私自身の問題です。
その時の「自分の考え」が、一般常識なのか、自分の好みでしかないのか、その都度しっかり向き合う必要があります。
結構、大変な作業です。
「自分の考え」というものを、正確に捉えることから、まずもって本当に難しい。
そんなことを考えていると、ラジオから石田純一(敬称略)の声が聞こえてきました。
どうやら90年代の懐かし話をしているようなのですが、彼はこんなことを言っていました。
「ベルリンの壁が崩壊してから、それで、アメリカの一国主義がどんどん進んでいったんですよね~。」
ああ、そうか、と思いました。
「自分の考え」というのが「好み」でしかないかもしれない、そんな危うさを感じていたところへ、この話。
そう、別のベクトルもあるんですよね。
「自分の考え」が、実は「一般論」でしかない、そんな勘違いもあるのです。
そうだ、そうだ、忘れてた。
石田純一は、たくさん本を読む人だと聞いたことがあります。
確かに「自分の考え」をまとめるためには、出来るだけ幅広い知識が必要です。
でも、知識というものは、得るだけでは、シナプスの使い方としては一方通行で、
「もったいない」と言えそうです。
しかも、知識をまとめただけでは、それは「自分の考え」にはなりません。
ああ、難しい。
とにかく、です。
自分の好みを、さも一般常識のように主張し、他人に押しつける、醜さ。
一般論を、さも自分の考えのようにひけらかし、賛辞を得ようとする、浅はかさ。
未熟な私としては、どっちも、ついやっちゃいがちな事なのです。
気を付けないとね。
以上、「石田純一の未来を憂う」でした。
もう「いい人キャラ」一本でいったほうが、良いと思うんですが。