けいよい日記

キングオブ暇な私の、心の琴線

ナマエ、トテモ、ダイジ。

 
ビューティフルネームとは、よく言ったものだ。
名前というのは、とても大事なものだと思う。

私が思うに、恐らく。

 

自分の名前が心底気に入るようになって初めて、いっちょまえの人間の、それまた第一歩にようやく近づけるのではないだろうか。

 

そりゃぁ私だって、「子」の付く名前がイヤだった頃もあったけれど。
今は、かなりお気に入りだ。
結婚して名前が変わるとなると、結婚そのものを考えたりしたかもしれない。
 
それだけ、「名前」というのは、重いものだと思う。
その人間のプライドを表現しているかのごとく、それは尊重されるべきものだと思う。
 
その人のところに、その名前が舞い降りたということ。
それにはとても大きな意味と運命的なものがあるのだろう。





…が、最近の名前は、よくわからないのが多い。
 
友達に聞いた話じゃ、知り合いの娘に「ふわり」という名前がいるそうな。
 
もう、しょうがない。
可愛らしい子になるしかないじゃないか。
彼女は一生「ふわり」なんだから。

 

 


「ふわり」な人生に、果たして「キャリアウーマン」という人生はあるのだろうか。

 

「○○君、これコピーお願い。」
と、引っ詰め髪に黒縁メガネのその奥の瞳がキラリと輝く、バリバリやり手の……









では。

 

「ふわり」な人生に、果たして「肝っ玉母さん」という人生はあるのだろうか。


「ちょっとこの鶏肉こことここが色悪いじゃない取り替えてよっついでになんかちょうだいヨッ」

と、頭にカールを付けたままの、こめかみにシップを貼り付けた、6人の子持ちの……







ふわりちゃんである以上、そういう人間にはなれないのだろうな、と思ってしまうのは、私だけ?
田園調布に住んで3時にダージリン飲むしかないんだろうな、とか思ったりするのは私の頭が固いだけ?

 







アンの親友ダイアナは言う。

 

「みんながダイアナという名前を聞いて、良い気持ちになってくれるような人間になりたいと思うわ。」

 

そうだね。
割とぼーっとしてるイメージのあるダイアナも、たまには良い事言うのだね。

 




なんだ、薔薇の名前の話をしようと思ったのに、前置きだけでこんなになっちゃったわ。

 

薔薇の話は、お股今度。
ご利用まことにありがとうございます。