けいよい日記

キングオブ暇な私の、心の琴線

キノムラサキ


美しい、と思った。

 

暖色の灯りに照らされた八坂の塔は、まるで黄金のように輝いているではないか。


もしかして、日本が黄金の国ジパングになったのは、こういうことなのか?

と一瞬思ったが、そんな時代にライトアップなどというものが、あるはずもなく。





黄金色に輝く伽藍も素晴らしいのだが、私が目を奪われたのは、塔の身体の方だ。


木の茶色というのは、光の加減で、どうかすると紫色に見えることがある。

特に、風雨にさらされ木肌がおぼろげに白くなっているものや、…そう、靄がかかっている時なんかは、そう見えやすい気がする。


そんな木の紫に見とれていると、時折漂う沈丁花の香りが、灯された明かりに艶を出す。




色というのは不思議だ。
 

 


「色とは何か」と聞かれたら、「それは光だ」と言えるだろう。

「では光とは何か」 と問われたら、「物理の先生に聞きなさい」と、私なら答える。



…難しいんだよ。

 

 
光というのは、基本、波で出来ている。
 
その波には、いろいろあるわけだ。
どう、いろいろかというと、波長がいろいろあるわけだ。


長い波長。

短い波長。

中くらいの波長。
絶倫な波長。
やる気のない波長。


……その他いろいろ。



波長って何さ?と思われるならば、 

波の大きさだと思っていただければいいと思われる。(自信がないので「思う」を乱用)



ひとつの波の大きさを、「ゆや~んゆよ~ん」 とすると、

 

大きい波の場合は
ゆや~~~~んゆよ~~~~~ん・ゆや~~~~んゆよ~~~~~ん」
 
小さい波の場合は
ゆやんゆよん・ゆやんゆよん・ゆやんゆよん・ゆやんゆよん・ゆやんゆよん
 
てな具合だ。

 

大きい波が、長波長。 色は赤系。
小さい波が、短波長。 色は青系。

 

まぁ……詳しい話は物理の先生に聞いておくれよ。






とにかく光は、太陽から来る。
 
太陽から、いろんな波長の光、つまりいろんな色を持った波が、ワイワイガヤガヤと、かどうかは知らぬが、とにかく彼方からやってくる。


いろんな波長が混ざってるから、その色は白い。真っ白だ。

 

その白い光が地球に到達し、いろんな物体にブツかる。

そして物体には、それぞれに、波長に対して「好き嫌い」というものがあるのだ。


その物体は、嫌いな波長のことになど目もくれず、吸収してしまう。

が。

好きな波長となったら、これが私よ!と言わんばかりに、それを自分の色として主張する。


そうやって物質が跳ね返し自己主張した(反射した)波長の色を、私達の目は捉えていることになる。



つまり。

 

すじこは、自分の色を「朱色に近い赤」と決め、その色を自分の名刺代わりに反射しており。
私の腹は、自分の色を「黒」と決め、全ての色を吸収しているのだ五っ月蝿いわ。 


 

そんなこんな、色。
 
あれこれ考えをめぐらしてみても、結局、茶色が紫に見える理由が分かる頭は、悲しいかな、無い。


何故なんだろう。


木々の茶に光が当たって紫色に見えているのか。

茶色の中に紫が息づいているのか。

それとも、そうやって色を分けて考えることに、そもそも意味がないのか。



ぬーが帰ってきたら、聞いてみよう…。

 

 





どうしようもなく美しい八坂の塔に目を奪われながら。

私の心を鷲掴んだのは、これだった。

 

 
生麩でぜんざいっだって、きゃぁぁぁ……っ♡
 
一人じゃ店に入れなかったよ、誰か、付き・合っ・てーーっ。
ご利用まことにありがとうございます。