アスキーは歌う。
最近の流行。
仕事の合間に、これを見る。
そして。
これの 1:32 のところで ピンポイント静止画面。
そして。
眺める。
というのが、私の、今の流行です。
ああもぅ、みなまで言うな。
いや、わかってるんですよ。
いや、わかってるんですよ。
わかってるんですよ、問題点は。
そりゃね。
1:30のところも捨てがたいし、
1:28のところも良いんだけど、
それも前半。
と、軽く引いてもらったところで。
アスキーにこんな記事が出ていて、なるほどな、と。
要約すると。
年寄りは、もう音楽買わないよ。
手持ちので十分だもん。
こっちのが良いし。
手持ちので十分だもん。
こっちのが良いし。
ってことなのですが。
確かにそうよね。
わざわざ新曲を聞く必要性を、まったく感じない。
必要性を感じないというか、必要ない。
私の人生に、えーと、例えば……なんだっけ、わー、もう例えの名前も出てこないけど、必要なーい。
とにかく、あれでしょー、恋愛対象のことを「君」って呼んで、大事だったり懐かしかったりするんでしょー。
んで、「この思い」をどこかに伝えて、空を見上げて、桜が咲いてんでしょー。
んで、いつかどこかで輝けるんでしょー、んで、間奏の後で雪が降ってて息が白くなってんでしょー。
んで、世界に1つだけ●●
ハァもう、どう、でも、いい。
そりゃ、たまには「おや、コレは」ってのも出てくるでしょうけどね。
でもきっとそういうのも、せいぜい5年に1人いれば良い方で、そもそも期待もしてないの。
本当に、今持ってる音楽を繰り返し繰り返し、もしくは昔、繰り返し繰り返し聞いた曲を
もう1度手に入れて、繰り返し繰り返し、聞く。
のみ、ですわよ。
言われてみれば確かに、恐ろしいほどに、そうなっちゃってますわよ。
これって、別に今の年寄りだけじゃないよね。
今の若い子だって、年を取ったら新しいものは聞かなくなっていくと思う。
というのも。
ずーっと前にも書いたことあるような気がするけど、結局のところ、一番音楽を聞いてたときの音楽が、自分にとって一番になっちゃうでしょ。
それって、人間の生理現象なのかなと思うわけですよ。
だから、世代は関係ないと思う。
想像してみたんだけども。
好きな曲を聞いて、キャーってなるでしょ。
まあ、それが興奮状態としたならば、そのときに脳にはアドレナリンでも出てるのかしら。
もちろんアドレナリンとは限りませんので、うーん、脳内分泌物αとしておきましょう。
って脳内とも限らないけど。
右手首のマウス蛸辺りかもしれないけれども。
右手首のマウス蛸辺りかもしれないけれども。
その脳内分泌物αが、ですよ。
お肌のコラーゲンと同じだったとしたら、ですよ。
そう、20歳くらいをピークに減っていくものだったとしたら。
ヒトが一番音楽を欲する時期ってのは、ズバリ青春時代だと私は思うので。
きっと、その脳内分泌物αの分泌可能量もピークなわけですよ。
その時に、好きな音楽を聞きまくる。
脳内分泌物α、MAX出まくり。
脳内分泌物αMAX量で、脳も興奮しまくり。
脳内分泌物αMAX量で、脳も興奮しまくり。
人生で一番脳内分泌物αを出せる時に、最もよく聞いた音楽で、脳は最大限に興奮しておったわけです。
で。
年取るでしょ。
分泌量、減るでしょ。
そのときに、新しい音楽聞くでしょ。
イマイチなわけよ。
分泌量が減ってるから、仮にMAXに分泌しても、脳の興奮度はピーク時の7割8割しか行かないの。
で、最終的に。
「……あの曲ほどじゃ、ねえよなあ。」
と、なるわけよ。
あ。
今、思った?
思いました?
んじゃあ、懐かしの曲を聞いたって興奮度は同じ7、8割なんじゃないのぅ?って。
懐かしの曲を聞くときにはね、脳内分泌物βが別に分泌されるのデスヨ!
αプラスの、βなわけでございますですよ!
記憶にある曲を聞いたときだけ出てくる、脳内分泌物β。
これも同じく、脳を興奮させる物質なわけです。
βがプラスされた分、脳は余計に興奮するわけです!
いつもより多めに回るわけです!
どうです!この理論武装!
ふぅ。
そういうことなんじゃないのかしらね。
そこのアナタの目尻のシワと同じ、老いと共に必然的に生まれる現象なんじゃなかろうか。
となるともう、どうしようもないよね。
目尻のシワは、そりゃ、クリームだの?マッサージだの?で、多少なんとかなりますわよ。
もしかしたら、この現象も、飲めば解消されますよー的なドリンク剤、
作ろうと思えば作れるのかもしれない。
が。
あったとしても、飲むか?
わざわざ新曲にキャー言うためだけに、それ、飲むか?
飲むか?
飲む人もいるかもしれない、それが当たり前の時代が来るかもしれない。
でも、そんとき、あたしゃもうこの世にいないだろうから、知らん。
そんなドラえもん時代の話は、どうでもいいの。
それより、来年再来年、ササ来年、サササ来年、サササ再来年の話ですよ。
それより、来年再来年、ササ来年、サササ来年、サササ再来年の話ですよ。
これから若い人間減っていくばっかりなんだから、そりゃ新しい曲出したって
新曲買う人なんて減る一方。
分母そのものが減るのだもの、ましてやCDの売上など増えることがあるだろうか、
いいやナイ。
ということで。
売り出す曲=新曲 である必要があるのだろうかと思うわけです。
もう1回、あの時のあの曲を、ちょいとどこかとタイアップでもして、
売り出したりすればいいのに、と。
こないだのさぁあ、ミュージックステーションの玉置さんのYOUTUBEのやつだってさぁあ、あれだけでDVDで音質とか画像とか綺麗なやつが出たら、買うよ、あたしゃ買っちゃうよ。(@椅子に座って前屈みで足をぶらぶらさせながら)
新曲作るより、金もかからんだろうし。
変に誰ぞにカバーさせるより、よっぽど良いと思うのだが。
せっかくのコンテンツを持ってる人たちが、
まったくもってうまく使ってないような気がしてならないよ。
著作権?
んなものは、ちゃんとルールを作ればいいのだ。
必要は、発明だけの母じゃない。
「いや、そうじゃなくて、あの時のアレを聞きたいんだよ!」
っつー人間の数が、これからどんどん増えていくわけなのだから、
供給はそこにされるべきではなかろうか。
基本的に宝探しってのは、地面掘って探すもんだろう。(昔コンテンツ探し)
ほんでもって、棚ぼたってのは、黙って待っときゃええじゃろう。(新曲作り)
もちろん待ちぼうけになる危険性は高いけれども、地面堀りながら待ってればいいんだし。
それくらいで、ちょうど良いんじゃないの?
若い人には、聞いたことがない曲は新曲なわけだしさ。
無理して薄っぺらいもん出さなくても。
ね。
だからね。
このね。
期間限定販売だかなんだかして、今手に入らない、このライブのDVDをね。
再販してぇぇぇぇぇぇぇ……ェェ。