その名前は、Yから始まる。
Yっさん。
これで名前を隠していることになるのだろうか。
まあ、いいや。
彼は我々夫婦の学生時代の友人で、あの熊野寮に…何年だっけ、とにかく相当な年数住んでいた強者である。
うちの旦那は、彼を酒で潰すのが、ことのほかお気に入りで。
さんざん飲まして潰したYっさん(意識レベルゼロ)の鼻をつまんで、口からウイスキーを流し込む。
そんな、下手したら犯罪になりそうなことまでしちゃう、大の仲良しだ。
……仲良しですよ?
我々の結婚式で司会をやってくれたのは、他でもない、Yっさんだ。
彼は酔っぱらうと、変な持論を口走る癖があった。
「非人間的なものと非人間的なものが合わさって
人間的なものに……ハラホロヒレハレヘベレケヘベレケ」
残念ながら、最後まで聞いたことはない。
そして、命の次に大切だといっていたのは、自転車。
あほぅである。
貧乏なくせに。
まぁこうやって考えると、ろくでもないタイプに聞こえるかもしれないが、聴く音楽はクラッシックとヘビメタ。
特にクラッシックCDの数は尋常でなかった。
貧乏なくせに。
しかも、一丁前なことを言いやがる。
Yっさんのくせに生意気だぞ。
(そう、彼の位置は野比のび太。だが我々のクラブの主将であった。)
私の心のひだに彼の行動が触れるたびに、旦那にゴーサインを出したり出さなかったり。
だが、しかし。
そんな蘊蓄にムッとしていたのも、彼がある意味正しいことを言っていたからなのかもしれない。
私はショパンが好きだった。
彼はモーツァルトを推していた。
私が、作曲した人間の、その時の感情や状況に興味を抱くのに対して。
彼は、そういうのを抜きにして、メロディーだけで評価するべきなんじゃないかと言ってきた。
だが私は、そのメロディーの裏にあるものも含めて、その曲は存在するのだと、今でも思う。
ただ、確かにエピソードは、あくまでエピソード。
その曲の本体である筈はない。
そのあたり、裏話に流されがちな私の性格を見抜かれていたような気がして、
あぁ今考えても腹が立つ。
よし、今度京都に帰ったらYっさんと飲もう。
そして潰そう、いつものように。
そんな、Yっさん。
最近、夫婦仲が冷え切って離婚寸前だとかいう風の噂が、びゅーびゅーと吹きすさんでいるんだが。
大丈夫かー。
大丈夫なのかー。