ザッツオーケィ東京
旦那が就職したのが東京だったので、それまで何度も来てはいたし、特に違和感はなかった。
その代わり、特にポジティブな感情があったわけでもない。
何でもある割に何もない、そのくせ人が多い、すぐに行列が出来る……。
あぁこうして書いてみると、悪いイメージの方が強かったかもしれない、東京。
事実、私は、こちらに来てからほとんど外出することもなく日長一日過ごしてきた。
東京に来てから2年目くらいだったか、友人と話していて、計算してみたことがある。
「私が東京の地を踏んだおおよその時間」
一日24時間のうち、買い物だのなんだので外に出るのはせいぜい1時間半。
それも、毎日ではない。
それも、毎日ではない。
たまに土日、丸一日出かけることはあっても、それも毎週なわけではない。
よって、一日1時間、として2年間、365日かけることの2年、で、トータル730時間。
一日24時間だから、730時間÷24時間=30.416666666666666…
「私まだ、一ヶ月しか東京にいてないわ。」
2年目で、それくらいであった。
6年目の今でも、まぁ大差ない。
だが、それでも住めば都とはよくいったもので。
それでもやはり、東京が好きかと聞かれたら、答えは否だったろう。
何でもある割に何もない、そのくせ人が多い、すぐに行列が出来る、アスファルトの照り返しがキツイし、ハムスターが死んでも埋める所を探すのにすら苦労する。
なんでこんなに、土がないんだ!
真夜中、スコップ片手にフラフラと土を求めてさまよい歩いていた我々夫婦。
相当怪しかったに違いない。
そんな時。
ちょうど今頃の夏の盛り。
何だか私は、新宿歌舞伎町にいた。
腐るほどの人・人・人。
お前ら、どっから沸いてきてるんだよ、虫かよ。
とか思いながら、何をしていたんだっけか、そのとき新宿にいた目的は全く覚えていないのだが。
人混みの中から、その屋台は出てきた。
……風鈴?
小さなリヤカーくらいの屋台いっぱいに、風鈴が雨のようにぶら下がっているのだ。
ビルの隙間から流れてくる生温い風を、それはいとも簡単に爽やかな風に変えていく。
その小さな一角だけが、別世界のようだった。
そのスポットライトを浴びているかのような小さな風鈴屋台は、これまた小さなおじさんが、ゆっくりゆっくりと引いていた。
おじさんは、特に売り込みにかかるでなし、ゆっくりゆっくり歩を進め、いつの間にか何処かへ消えた。
はぁ、歌舞伎町に、あんなものが。
東京は、ああいうものが生き残っている町なのだな。
うむ。
……悪くないじゃないか、東京。
その年明けに、たまたま見つけた旨い煎餅屋。
煎餅だけは、関東の方が旨い。
店の裏で天日干ししているような店が、わりといくらでも生き残っている。
おそらくは、京都に行っても煎餅は東京から取り寄せることになるだろう。
私が東京を好きになったのは、風鈴と煎餅のおかげなのである。
人間が多いからこそ。
そういうものが、生き残っていけるのだろう。
東京は、日本のどこよりも日本が生き残っている街。
そんな確かな土台の上に、東京の摩天楼は建っているのだ。
今日も、こいつらの向こうに日が沈む。
東京の終わらない一日に、少しだけ区切りのつく時間。