けいよい日記

キングオブ暇な私の、心の琴線

魔法のタクト

 

指揮者というのは。

 

これは、うちの姉がよく言うのですが。

 

指揮者のお仕事というのは、100m走の速さで42.195kmのマラソンを走りきるような、それくらい大変なものなのだそうです。

 

その話をするときに、姉が少し得意げなのがよくわからないが、まぁそれは置いておいて。





CDを買ったのです。
久しぶりに買ったので、ボコボコと衝動買いしてしまいました。

 

そのうちの一枚が、金聖響指揮のベートーヴェン交響曲第6番「田園」。

 

 

先日、名前の話をしましたけどね。
 
聖響って名前がすげぇなぁ、と思っちゃいますよ。
もう指揮者になるしかないじゃんよ、くらいの名前ですよ。
 
よかったよね、指揮者になって。
そりゃATOKの変換では、生協が真っ先に出るけども。
 
まぁ、それも置いておこうよ。






聖響さんは、面白いことをやってる人なんです。

 

曲というものは、弾き手によって、オーケストラの場合は指揮者によって、如何様にも変わるもの。
場合によっては、「変わってしまうもの」と言わざるを得ないこともあるかもしれません。
 
なんといっても、5本線にオタマジャクシが並んでるだけですからね。
解釈の仕方は、いろいろになるわけです。

 



指揮者が、こうしてみたいなーと思ってやったものが、そのまま結果として曲に表れる。
そうして……ベートーヴェンが実際に作曲してから、えらいこと月日が流れていく間に。



実は、結構、変わっちゃってんじゃないか? 



まぁ、あり得る話ですよね。
そこで。

 

聖響さんは、できるだけ、できるだけ、で・き・る・だ・け、ベートーヴェンが作曲した当時のまんまで演奏できないもんか、と。
 
日々、努力をされている人、らしいです。
えーっと、こいうのを「ピリオド奏法」というそうです。(自信がないから超小声)

 

いやぁ、私もねぇ、つい最近トップランナーとかいう番組見て知っただけなんでね。
違うかもしれん。





でも、とても興味深い試みだと思います。

 

気になりませんか?
当時、どんな感じだったんだろうって。
 
今に比べて格段に娯楽の少ない時代。
 
着飾る人はさんざん着飾り、その割に一歩外に出れば、めっさ不衛生という、バランスの悪い生活。
自堕落で勝負すれば、今の私と大差ないだろうみたいな、そんな人達の目の前に。
 
 
ある日、第九がやってくる。
 
 
 
 
……いやいや、あたしゃ別に、ペストに恐れおののくような生活はしてませんがね?
そこまで…そこまで…自堕落じゃ…いやまぁこの体たらくといえば体たらくだけどさ、ぶつぶつ…。

 

まぁ、置いとこうよ、それも。





とにかく。

 

今、年末に第九を聞きに行くよりも、ずっとずっとインパクトあったんじゃないかなぁとか。
思うのですよ。

 

初演は大失敗だったとか聞きますが。
有名な曲全てがそういうエピソード持ってる気もしますが。

 

この世に第九が生まれた瞬間に立ち会った人、っていうのが確実にいたわけです。
私は、純粋にその人達が羨ましい。

タイムスリップが一回だけ出来るとしたら、あぁ恐竜を見るか、この演奏会に行くか、すっごい悩むね。

 

あぁ、どうしよ。
えぇ、どうしよ。
ちょっと待って、考えるわ。

 

…まぁ結論出すのは、タイムスリップが出来るようになってからでよかったね。






で。

 

聞いての、感想ですが。

 

うむ、今まで思ってたのと違いました。
私のイメージしていた「田園」は、その名の通り「田園」風の、軽やかな感じだったのですが。

 

そう、例えば、ふわりちゃんが田園で。
 
と言いながらベランダに出て行きそうな、そんな感じ。



対して、聖響さん指揮の「田園」は、もっと低音が効いてて重厚な感じがします。
その分、小鳥のさえずりがより美しく、ぴ~ひゃらとどこからか聞こえてくるような。
そんな「田園」。
 
たぶん、この田園には馬がいます。 
そして馬車を引いています。

 

 

こういう馬。
日本には、ムツゴロウ王国とかにしかいなさそうな馬。
足元が西城秀樹みたいな。

 

いや、なんとなくですがね。






……長くなったので、つづく。
ご利用まことにありがとうございます。