けいよい日記

キングオブ暇な私の、心の琴線

行く~逃げる~去る~猿さるサル~

とは、よく言ったものですね。

 

2月ももう、終わりかけじゃないですか。
まだ節分の話をしていないというのに。
ええわかっております、タイムリーな話題じゃないことは。
 
でも、無理矢理するっ。

 


節分に盛大に祭りが行われる、吉田神社に行ってきました。

 

節分以外の時はマイナーだといわれる吉田神社
というのも、割と歴史が浅いのですねぇ。(といっても、室町時代創建ですが)

 

 

当神社大元宮は全国の神々をまつる日本第一の霊場で、節分詣発祥のお社であります。



とは、当の吉田神社自らの謳い文句です。

 

あら。
私の言葉、少し棘がありましたか?
 
すいません。



でもでもだって、これね、この日本第一の…云々って、
吉田神社の神官が、ある時勝手に言い出したと言っても過言じゃないような
そんな始まりだったそうなんですよ。
 

頃は応仁の乱が終わり戦国の世が始まるかという動乱の時期。



不安に駆られる民衆をターゲットに、この「新興宗教」的な神社は突然姿を現したんだ、と、松本清張は言っています。
松本清張「京都の旅・第二集」より)


もっとも、この吉田神社がある吉田山は、昔から「神楽岡」と呼ばれる霊場ではありました。

その吉田山の頂に、ある日「大元宮」という不思議な建物(↓これ)が出現したのです。

 

 

全国のお社にわざわざ行かずとも、ここにお参りすれば、充分事足りるのですよ~!
ここが最高の神様なのです!
 

というコンセプトの元、大元宮の周りには各国の神様のためのお社が、それこそ国ごとにあるのです。

 

 

私のような外様者は出身地である「周防の国」の神様の所へ、そりゃぁお賽銭をあげますともっ。
全部に一応お賽銭あげとこう……って方も、いらっしゃるかもしれません。
もちろん、大元宮にもお賽銭投げてますよ。

 

そうやって、ここへお参りに来る人達が、思い思いにお賽銭をあげるのです。
なんせ、ここに来れば全部の神様を拝んだことになるのですもの。
 

実に良くできたシステム。
 

この素晴らしいシステムを考えた人の名は、吉田兼倶(かねとも)といいます。


徒然草吉田兼好の子孫になるそうです。
そもそも由緒のある家の出だったらしくて、みんな信じたんだってー。


まぁ、そういう諸々あるとは思いますよ。

でもね、肝心なのは。

 

ここ吉田神社が、実際楽しい、ということなのだと私は思います。
 
だからこそ、定着したのだと。



地元から遠く離れた土地で、自分の国の神様を探すのって、楽しいのよ…!

そして、それぞれの土地の神様の数が書いてあるのでね、その数を比べちゃったりしてね。

 

おっ、上総国より周防の方が神様多いねぇ、ハッハッハッハ! 
なんて下衆な喜び方をしたりしてね。
 
げっ、大和の国、強……! 拝んどこう……
とかね。
 


楽しいのよね。
してやられちゃってても、いいやっ、って思っちゃいます、私は。


とはいえ、吉田神社にお参りするのは、年に一回節分の時がせいぜいですけど。

それは吉田神社側も先刻承知ってなもんで、ここが年に一度のかき入れ時!なのです。
節分のお賽銭で一年間切り盛りしてるようなもんでしょうからねぇ。

 

だから。


これで、いいのです。

 

 

 

節分祭そのものも楽しいですよ。
きっと、この辺の子供達には、たまらない一大イベントでしょう。

 

食べ物はもちろん、やっぱり節分といえば福引なのか、遊び系の屋台も盛り沢山。
あんなものやこんなことを、食べたりやったりしていたら、きっと頂上に着く頃にはお賽銭10円分くらいしか残ってなかったりするんでしょうねぇ…。

 

ええ。

私は、そういう子供でした。

 
 

 

 


さて、吉田神社は御所から見て表鬼門(東北)にあたります。

そして、こちら壬生寺は裏鬼門(西南)

 

壬生寺の節分祭も、えらい盛り上がりようでしたよ。
こっちに先に行ったんですがね、もう、いろいろ見て回るのが不可能なくらい混み混みでした。
 
 
 
 
こうして表鬼門と裏鬼門で祭事を行い、がっちりと都を守ってるのですね。
 
さすが都です、いいですねぇこういうの。
なので節分の日に両方お参りして、しっかり拝んでおいたというわけです。

 

が。

 

よく考えてみたら、うちがある場所って。

てんで蚊帳の外




これって……
これって…………



守られてない…全然守られてない……。

 

 

 



…まぁ、いいけど。



だって、楽しかったから。
 
 
楽しかったから…!
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